1.うつつ奇聞譚 【鏡ノ魔】

 

 歩けど歩けど全く同じ景色が繰り返し、無限に終わりが無いかのような夕闇の路地を歩き続ける。

 すでにそうし始めて数時間は経つはずだが、空には一向に沈む気配のないギラギラとした夕日が燃え、辺りを赤く染めていた。

 そう、今現在俺たちはこの赤い世界から出られなくなっているのだ。

 今にして考えてみると、発端はその日の朝には既に始まっていたのかもしれない。

 

 

 初夏より少し蒸し暑さが増しつつ、蝉の鳴き声が響き始めた今は7月の中旬。

 梅雨真っ只中な割には入道雲を浮かべた空は青く、眩い太陽光が降り注ぐ午前のことであった。

 絶好の外出日和とも言える空模様の中、俺はというと机の上に積みあがった資料の山に朝から釘付けになっている。

 資料の内容は様々あり、曰く口の裂けた女の話やら見ると死ぬテレビ放送やら、降霊術を用いた100%当たる占いに果ては海に潜む巨大生物等々……。

 それらに共通するのは、この世界の常識としては存在しないとされているものばかりであり、そしてそのようなものを調べる理由は端的に言えば、この人間界からの脱出の為であった。

 というのも本来はこの人間界、もとい『うつつ界』には調査と、魔力の行使を可能にするための陣の設置のために来ていた。

 だが来て少し経った頃に出くわした『魔の類』の影響でこの世界に閉じ込められ、元の場所に戻れなくなってしまったのだ。

 ”俺たち”は元来た世界に帰りたい。 この見ず知らずの人間界で、このまま魔障に怯えながら来るかも分からない助けを待ち続け、最悪こちら側に取り残されるなど断じて御免だ。

 そして、この状況に到った原因は魔の類に端を発するのだから解決法もまたそこにあると考え、それ以来手あたり次第に魔の類に関する情報を調べ始めて今に到る、というわけだ。

 そんな調子で今日も朝からこうして延々と、机の上に積み上げられた資料の山と睨めっこを続けていたのだが、唐突に視界の端に現れた湯呑によって数時間ぶりに現実へと意識が引き戻される。

 少し驚いて横に目をやると、気の弱そうな山吹色の瞳と目が合った。

 

「あ…ごめんね、驚かせちゃった……?」

 そう申し訳なさそうな表情を浮かべて言ったのは、袖のない新緑色の着物を纏った、栗色の髪の少女、『縁魔小詠』だった。

「別にいい、いつも助かる」

「うぅん、正直あんまりお役には立ててないけどね、調べ物はほとんど梨句が一人でやってるし……」

「そうでもないさ、こうして話し相手になってくれるだけでも随分助かってる」

「…え、えへへ、そう言ってもらえると手伝いにきた甲斐があるかな」

 と、頬を朱に染めはにかむ小詠は、元の世界では住んでいる場所が近く、又こちらへは調査の手伝いのために一緒に来てくれた、謂わば隣人兼助手とでも言ったところだろうか。

 しかし、隣人ではないが助手と呼べる存在は、小詠の他にもう2人居ることを忘れてはならないだろう。

 机を挟んで左右から同時にかけられた、「おい(ちょっと)」という不満げな声によって俺は改めてそのことを確認させられる。

 

「主人を除け者にして何を楽しそうにしておるのじゃ、私だって話し相手になっているのに、全ッ然! 全くもって納得がいかぬ!」

 そうジトっとした眼でこちらを見据えるのは、見るからに活発そうな真紅の瞳、丈の短い赤い着物を纏い、黒髪を左右で二つに結んだ少女、『焔魔七火』と、

「そうですわ! このわたくしが直々に雑務の手伝いをしているのですから、わたくしのことも褒めるべきですわ! いいえ、褒め称えるべきですわ!!」

 肩を大きく露出させた青い着物を纏い、ややくせ毛がかった長い金髪と、猫のような大きな青い瞳の少女、『円魔いのり』。

 

 七火といのりとは、二人が幼少の頃から世話係、というか遊び相手を任されていた間柄だ。

 現在はその役目も終わっているのだが、お嬢様育ちの二人にそう言っても聞く訳がなく、また慣れということもあり、なし崩し的に今もかつての関係性のまま二人と接している。

 

「むむ、なんだか面倒くさそうな表情をしていますわ」

……そんなことは、ありません。 もちろん七火お嬢様といのりお嬢様にもいつもお世話になっていますよ」

「あっ! 今一瞬言いよどんだのじゃ! 絶対に気のせいなどではないぞ!」

 …先程の言葉は本心だが、たまに面倒くさく感じる時はある。 特に今のような場合に。

 しかしこうなった以上なんとか取り繕わねば余計に面倒なことになるが、さてどうするか……

…….ま、まあまあ二人とも、梨句は私が話しかけてそれに答えてくれただけだから、もうこの辺で……

 と、そんな答えに窮しているのを見かねた小詠が助け舟を出してくれたのだが、

「依怙贔屓の泥棒ネコは黙っていてくださいまし」

「部外者はすっこんでおれ、燃やされたいか」

「こっちに矛先向いた!?」

 

 

さて、そんな穏やかと言えばそうと言えなくもない日々を送っていたところに、転機が訪れたのは七火の一言がきっかけだった。

「梨句ー、退屈じゃー」

 休憩中、さっき小詠が淹れてくれたお茶でのどを潤していると、力なく机に突っ伏した状態の七火がそんなことを言い出したので、俺は深く考えこともなくとりあえず釘を刺しておくことにした。

「ダメです」

「まだ何も言っておらぬじゃろうが!」

 するとさっきまでの無気力状態はどこへ行ったのか、バッと勢いよく体を起こした七火がこちらを指さし叫ぶ。

「冗談です」

「くぁー! 生意気じゃ!梨句のくせ生意気じゃ! 貴様、私をバカにしているのか!?」

「少しは退屈が紛れるかと思ったのですが」

「全っ然紛れぬわ!」

「まあまあ七火ちゃん、これ飲んで深呼吸して」

 小詠に勧められたお茶を一気に飲み干した七火は深く息を吸って吐き出す。

「……ふ、ふん! 邪険にしおって、そんなに私が嫌いか」

 七火はそっぽ向いて口を尖らせて言った。

 どうやら相当に不安定になっているらしい。

「ちょっとからかっただけです、機嫌を直してください」

「……それなら私の提案を聴くというなら、まあ打ち首だけは勘弁してやるかのう」

「…言ってみてください」

 コホン、と咳払いをした七火は話し始めた。

「知っての通り、私たちはこれまで2ヶ月に渡って元の世界に帰る方法を探してきた。 もはやこの世の全ての魔を知り尽くしたと言っても過言ではないじゃろう。 ……しかしじゃ!」

 声を大にした七火は膝立ちになりながら、バン!と机に手を打ち付けた。

 色々と突っ込みたい所はあるが今は話を聞こう。

「だというのに未だ『かたす』に帰ることは叶わず、内々に出来ることはもはや手詰まりと言える! 故にじゃ、これからは作戦方針を転換し、実際に外界に出て直接的にその手がかりを探すことを提唱したい! 漕ぎ出すのじゃ、あの大海に!」

 そう言い終わった七火がビシッと窓の外を指さすと、小詠の「おおー」という歓声と拍手が慎ましく室内に響いた。

「ど、どうじゃ…….?」

 打って変わって、七火は少し上目遣いに遠慮がちな様子で聞いてくる。 こちらの指示に従う事がこのうつつ界に来る時に結んだ約束事だったからだ。

「確かに、お嬢様の仰る通りかもしれません」

 この2カ月間家に籠って情報収集だけに終始してきた理由は、このうつつ界に来たばかりの時のように無防備なまま動き回り、そしてまた未知の魔の類に遭遇するのを避けたかったからという理由もある。

 しかし結局帰る手段は見つからず、おまけに予め貯蔵していた食料などにも限りがあるため、遅かれ早かれ買出しに出かける必要がある。

 …まあ当の七火の本音は、ただ外に出て遊びたいだけなのだろうが今はそれは言うまい。

 

「それじゃあ……」

 自信なさげだった七火の真紅の瞳が期待に満ちた。

 さすがにこれだけ期待されると応えない訳にもいかなくなる。 それに一度目の魔との遭遇はただ運が悪かっただけで、いくらなんでもそう易々と何度も出会ってしまうものでもないだろう。 大丈夫なはずだ、多少は…。

 俺はまるでそう自分に言い聞かせるようにして首を縦に振った。

「やったー! 久しぶりの外じゃー!」

 歓喜の声を上げ、嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねる七火。

「とはいえ、ここでは我々の力の大半は封じられて今やただの人間同然になっていることをお忘れにならぬように、ですからくれぐれも油断は…」

「分かっておる分かっておる♪」

「……」

 本当に分かっているのだろうか…….。

「むぅ、わたくし暑いのは嫌ですわ、なにもこんな日に限って外出することありませんのに。 それに今日は夕方から土砂降りが来るとわたくしの勘が告げていますわ!」

 そんな嬉しそうにはしゃぐ七火とは裏腹に、むくれた様子のいのりが口を尖らせ言った。

「フフン、こんなに晴れておるのに雨など降る訳あるか、それに天気予報でも今日は一日晴れじゃ。 そんなに外が嫌ならば、お前は一人寂しく留守番でもしておるがよい、女狐には穴倉の中がお似合いじゃ」

「っ……か、かちんと来ましたわ…! 上等ですわ! この瀑流の魔女と呼ばれ恐れられた円魔いのり、頭の悪い山狸ごときに遅れは取りませんわよ!」

「あ、頭の悪い山狸じゃと…?」

 怒りにワナワナと手を震わせた七火はいのりを指さし、

「だったらお前は卑しい濡れ狐じゃ!」

「このっ、わたくしより後に生まれたくせに!」

「ちょっとしか変わらんじゃろうが!」

 鼻先同士が掠めるほどの距離までにじり寄り、今にもつかみ合いになりそうな一触即発の雰囲気となる七火といのり。

「ちょっと、喧嘩はやめなって!」

 そんな二人の間に、小詠が慌てて手を入れて引き剝がそうとする。

 俺は、こんなのは正直よくあることなので放って置くか一瞬迷ったが、結局止めに入るべく湯呑を置こうと机に目を向けた時、

 ふと、積み重なった紙の山の一枚の資料に視線が釘付けになった。

 吸い寄せられるようにして手に取ったそれは、『裏世界に行く方法』と銘打たれた、『鏡』に関連した怪異についての資料のようだった。

 その内容だが……、

『1:全身が映るほどの大きさの鏡を用意する。

 2:それを直線状に100m以上開けた場所に設置する。

 3:鏡の前で1時間以上待機した後、鏡から向かって正面に真っすぐ進む。

 4:ある程度進んだら、左・右・左・右・左の順に曲がる。

 5:すると誰も人がいない鏡の中の世界に行くことができる。』

 ……………。

 内心馬鹿々々しいと感じた。

 100m以上開けた場所に全身が映るほどの鏡を用意して、しかもその前で1時間以上待機する、

 何の事前情報もなしに、そんな意味のない大がかりな行動を取る者など居るはずがないし、偶然にしてもこの条件を満たす状況が自然に起きるとは思えない。

 したがって、この方法は第一発見者が発生しえない以上、これまで幾度となく目にしてきた作り話であろうことはすぐに分かる。 が、

「ん?」

 見れば裏面に続きがあった。

『尚、その世界の住人には絶対に捕まってはいけない。 捕まると二度とその中から出られなくなる。元の世界に戻る方法は、来た時と同じ順番で道を曲がり、最初の場所に戻ってから《鏡》に触れること。 ただし、………』

 気が付けば、周囲は不思議なほどに静まり返っている。

 俺は妙に激しい動悸を押し殺し、固唾を呑んでその先を読もうとした、その時。

「遅いぞ梨句!」

「早くしないと先に行きますわよ!」

 玄関先から、いつの間にか支度を整えていた七火たちの催促の声が聞こえ、ハッと我に返った俺は。

「……?  ま、ただの作り話さ」

 と、手にした資料を紙の山に戻し、急いで玄関へと向かった。

 

 靴を履き、薄暗い玄関を出ると、そこには眩い太陽光が一面を照らす真夏の景色が広がっていた。

 照り返しに思わず目を細め、舗装された道路から熱気と共に陽炎が立ち昇る様は見ているだけで気が滅入りそうだ。

「うむ、実によい炎天下じゃ、やはり夏はこうでなくてはのう♪」

「うぐぅぅ、暑いですわ~、やっぱり無理ですわ~…」

「どうしても無理な時はおんぶしてあげるから、もうちょっとだけ頑張ろ…?」

 しかしまあ、楽し気な七火たちの姿は、たまにはこういうのも悪くないと思うに十分なものだった。

 そんなこんなで俺たちは炎天下の下、駅まで歩いて25分、電車で5分かけて街の中心部までやって来たのだった。

 

 

 

 

<追記中>