瘴気が満ち闇に包まれた荒れ地。
その場所に、山のような巨体を誇る異形の黒竜と、
遠巻きにそれと対峙する、一人の少年の姿があった。
漆黒の外套を羽織った、炎のような赤い髪の少年は大きな牡鹿に跨り、その手には自身の3~4倍はあろう巨大な槍。
そしてその槍は、先端部が赤黒い結晶状の刃に包まれた、前方の黒竜と同じ異形の槍であった。
「あのデカい奴は強化される前から貴族級の強力な妖魔だったのさ。 言っとくが魔王じゃないからって手を抜くなよ、雑魚の始末も契約の一部なんだからな。 ま、せいぜい死なないように励め、ケケケ」
「……」
少年はすぐ真横で響いた、嘲るような声を無視して手元の手綱を引いた。
手綱を引かれた牡鹿が走り出すと、
それに呼応して竜も大きく息を吸い、口から次々に火球を吐き出す。
着弾点が岩ごと溶け、熱波だけで周囲の草が捻じ曲がる火球と、
竜の背中から伸びた無数の長い腕を、右へ左へと巧みに躱し、
時には手にした槍でそれらを薙ぎ払いながら少年は竜との距離を詰め続ける。
やがて互いにとっての必殺の間合いまで接近した所で、竜は無数の腕を鞭のように束ね、少年目がけて振り下ろす。
しかしそれをすんでの所で回避した少年は、鹿から腕へと飛び移ると、腕伝いに竜の体を駆け上がる。
そしてそのまま空中に跳び上がって、振りかぶった弩級の槍を竜の脳天目がけて一気に叩き込んだ。
赤黒い刃が竜の分厚い鱗状の皮膚を貫き、その下の肉と、妖魔族の心臓たる核をも引き裂きながら地面へと突き刺さる。
両断され、真っ二つになった黒い竜は轟音を響かせながら倒れ、動かなくなった。
やがて竜の残骸が魔力の塵と化し、空間に融け出し始めた頃。
魔力の霧が霧散する中、槍を担いで立ち上がった少年の耳元で声が響いた。
「ちぇっ、もうちょっと手こずると思ってたけど一撃かよ! 同族としてなんか複雑だぜ」
「…お前は敵なのか味方なのかどっちなんだよ」
そう言って少年が呆れたように横目で見やった先には、深々と帽子を被り、ローブを着込んだ人型の小さな妖魔。
「ボクとお前は単なるビジネス上の付き合い、もしお前が死ねばボクはより強い者に乗り換える、それだけの関係なのさ」
小さな妖魔が浮遊しながらに意地の悪い笑みを浮かべて言うと、
「けっ、現金なやつ」
少年は不貞腐れたような表情を浮かべてそっぽを向き、指笛で遠方の牡鹿を呼び寄せる。
「ケケケ、まあそう拗ねるな。 ボクはお前を利用して裏切者どもを始末する。 お前はこのボク、リトルハート様から与えられた妖魔殺しの力で、お前をそんな非力な子供の姿に変えちまった奴を倒す。 これなら文句ないだろ? 元・最強の魔人の焔魔国村さんよ」
妖魔・リトルハートは悪戯っぽく、眉間に皺を寄せた少年・国村の顔を覗き込む。
「ま、何にしてもだ、この調子で奴らを始末していれば向こうも黙っちゃいないだろうぜ、いずれは本命の方も姿を現すはずだ。 せいぜいその時まで完全に力を失ってないことを祈るんだな!」
そう言ってケラケラと笑うリトルハートだったが、いつの間にか牡鹿に跨り進みだしていた国村は振り返って、
「無駄口叩いてないでさっさと行くぞ、チビッこ悪魔」
「……な、なんだとこいつ! お前だってチビッ子だろうが!大体こう見えても……ボクはなー!……」
焔魔国村がこうして妖魔と戦う理由は、自身にかけられた術を解く為であった。
国村にかけられた術の効力は、『時間の経過とともに体が子供へと退化し続ける』というもの。
これは最終的には幼児、さらには胎児へまでもと際限なく体が縮んでしまうしまうことを意味し、そしてこの術を解除するには術をしかけた術者が自ら術を解くか、又は術者を抹殺するしかない。
現在は既に人間に換算すると14歳頃にまで身体が縮み、槍を振るう限界が確実に近付きつつあったのだが……。
* * *
「これ以上、妖魔共と戦うてはならぬ」
場所は国村も含めた『魔人族』の都。 その中心地にある広大な和様建築の一室で、銀髪の小柄な女性・焔魔やちよは、呼び出しを受けてやって来た国村に背を向けたままそう言った。
「絶対に来るように、なんて言うから何かと思って来てみればやっぱりその話かよ。 太公の奴がまた飽きずにうるさく言ってきたみたいだな」
太公とは最も強大な力を持つ魔人の階級名を指し、全ての魔人の頂点に位置する、いうなれば魔人族の王のことだ。
「うむ…、じゃが今回は太公様からお前への直々の命じゃ。 我ら『魔人』と『妖魔』は形式上は不戦の盟を結んだ身、それゆえ殺してはならぬ、と」
「ケッ、その割には奴らあちこちで好き勝手に暴れ回ってんじゃねえかよ、現に魔人ももう随分殺られてる。 てめえ仲間を見殺しにするつもりかよ?」
「うぅむ……」
怒りに目を細め追及する国村に対し、やちよは俯いたまま何も答えない。
「大体、てめえも本当は分かってるんだろ。 奴らの中には妙な能力を持った奴が大勢居やがるんだ、太公はそいつに操られてるに違いねえ。 だったら太公の野郎をぶん殴ってでも正気に……、むぐっ!?」
そう捲し立てながら詰め寄らんとする国村に、やちよは振り向きざま手で横一文字に空を切る。
すると、途端に口が縫い付けられたかのように開かなくなり、その先の言葉がかき消された。
「わらわの孫の孫の…、そのまた孫のくせに口を慎まぬか馬鹿者。 このままあ奴らを倒し続けるならば、太公様が直接お前を討つと仰せなのじゃ」
額に青筋を立てたやちよは、有無を言わせぬ口調で言い放つ。
「むぐ……」
「それに…、かつてのお前ならいざ知らず、今のお前など太公様が相手となればひとたまりもない、勝負にすらならぬぞ。 そしてそれは仮に我らが全員で掛かったとしても同じことじゃ」
「むぐぐ……」
何か言おうとする国村だが、相変わらずその口は開かない。
もっとも口を塞がれずとも、やちよのその言葉にはまともな反論は出来なかったかもしれないが。
「太公に敵うのは太公のみ、今はとにかく次の評定で『円(まどか)』と『縁(ゆかり)』の太公の意思を問うしか道はないのじゃ。 『焔(ほむら)』としてはこれ以上妖魔と戦ってはならぬ、分かったらさっさと行け」
それだけ言うと、やちよの手が先ほどとは逆向きに切られ、再び背を向ける。
いつの間にか口は元通り開くようになっていたが、国村はそれ以上何も言うことなく、小さく舌打ちをすると踵を返し部屋を出て行った。
一人残されたやちよは、国村の気配が遠ざかって行くのを確認すると、険しかった表情を崩しがっくりと肩を落とした。
「……まあこれくらいで言うことを聞く訳はなかろうが。 はぁ……、それにして嫌な役回りじゃ、太公様にどう説明するかのう……」
広い室内にやちよの弱音が木霊した。
「やれやれ、その様子じゃ相当絞られたみたいだな」
人気のない長い渡り廊下を不機嫌そうにずかずか行く国村に、リトルハートは姿を見せずに声だけで問いかけた。
「…余計なお世話だ。 それで敵の新しい情報は掴めたのか?」
「ああ、ここから北の方でお前のお仲間が次々に消息を絶っているようだ、かなり強力な奴がいると見て間違いはない。 ま、そこでお前をそんな姿にした奴に会える保証はないが、どうするんだ?」
「行くに決まってんだろ。 ……オレに術をかけたあの妙な野郎を倒して、絶対に元の姿に戻る。 その為なら、邪魔する奴は太公だろうが魔王だろうが全員ぶった切ってやるよ」
「キヒヒ、そう来なくっちゃ、お前にはまだまだ働いてもらうからな。 期待してるぜ国村」
「ふん……」
こうしている間にも同じ魔人の仲間が妖魔に殺されている。
(幼い頃から親しい者の死に幾度となく出くわしてきた。 ……術が完全に効いて死ぬのは恐い。 だがそれ以上に、このまま身体が縮み続け、家族や仲間の危機が分かっていながら何も出来なくなるのは、術の最後に死ぬことよりも恐ろしい)
建物の外に出て、表に繋がれていた大きな牡鹿に跨った国村は、日に日に重さが増す巨大な魔槍を担ぎ直し、唇を固く結ぶと勢いよく手綱を引いた。
***
「ありがとうソフィア、もういいよ」
暗い亜空間に若い男の声が響く。
すると、”少年と小悪魔の姿が映し出された、青白い光の玉”が微かに反応を見せる。
その場所で唯一の光源となる光の玉は次第に形を変え始め、
やがて完全に”人形のような形状の小さな少女の霊体”へと姿を変えた。
「あちこちで部下を倒して回っているというのはやはりあの坊やだったか。 それにしてもよくやるものだ、あの小さな体でよもや六大魔王の一角を打ち崩すとはね」
蝙蝠のような翼を生やした、藍色の髪の優男はそう笑うと、
自身に纏わり付くように浮遊する少女の霊体を抱き寄せ、
「思った通り、彼は大いに計画の役に立ちそうだ。 待っていてくれソフィア、君には私から最高のプレゼントを用意してあげるからね」
『……』
頬ずりしながら愛おしそうに、魔王メルトドールは囁いた。