話は国村が少年の姿に変えられた数日前に遡る。
瘴気に包まれた山間の集落にて、十時間にも及んだ戦いが終わろうとしていた。
焔魔国村は、人型をした黒山羊の妖魔の胸部にある赤黒いコアに大槍を叩き込んだ。
超硬度の結晶と金属がぶつかり合う高音が空気を振動させて轟き、黒山羊の妖魔の身体が地面に叩きつけられる。
それでも妖魔のコアには少しヒビが入った程度だが、そこから猛烈な勢いで槍が連続して打ち込まれ、妖魔は衝撃で動けず為す術のないままコアの亀裂が大きくなってゆく。
そしてとうとうダメージの限界を迎えたコアが砕けると、断末魔と共に妖魔は霧となって消滅した。
辺りにかかっていた黒い霧が晴れて青い空が顔を覗かせ、日の光が周囲を照らす。
周囲の建物や木々は損壊し、岩に到るまでが砕け、その場所で行われた戦いの激しさを物語っていた。
「ふぅ、やっと終わりか、手間かけさせやがって」
一人そうごちりながら国村は汗を拭う。
国村がそう思うのも無理はなかった。 前の日の夜、ここから西方の魔人勢力圏の最西端を担当する魔人から『領地内で謎の瘴気が発生したため原因の調査に出る』、という旨の報があった。
報を送ってきた魔人・焔魔棗は最も危険な魔人勢力圏の外地部を担当するだけあり、国村にも匹敵するほどの戦闘向きの魔人であったことと、そしてまた凶暴な魔物の多い外地ではこのような事態もさほど珍しい事でもない為よくあることと気にも留めていなかったが、しかしそれきり棗は連絡を絶った。
『異常発生の報告から丸1日半経って続報が無ければ、緊急事態とみて仲間を救うべくその場所に救援に赴かなければならない』。 国村が就く右近衛官の職に与えられた規則に従って救援に向かおうと準備していた矢先。 夜も明けぬ内に今度は自身の担当領域内に侵入者があった。
現れた魔物の容貌は人型をした黒山羊や黒犬、赤い牛などの様々だったが、それらは一様に黒い蝙蝠のような翼と角を持ち、胸部に浮き出た赤黒い結晶状の核が妖しげな光を湛えていた。
妖魔は首を飛ばされても身体が真っ二つになってもあらゆるダメージが瞬時に再生してしまい、国村は当初苦戦を強いられた。 戦う内に敵の弱点が胸部のコアであることは分かったが、それがやたらに硬く、百回近く全力で斬りつけてやっと一つ破壊できた。
敵の総数は6体で全て始末する頃には昼になっていた。 それだけ長いこと槍を振るい続けていたため、手はあちこち擦り切れて血がにじんでいる。
(それにしてもここまで敵が現れるとは、一体どうなってやがる……!?)
眉間にしわを寄せて、手に布を巻き付けて傷を手当する国村の耳に、慌ただしく複数の鹿の地面を蹴る足音が聞こえてくる。
音が迫ってきている方向に目をやると、国村の視界の端に鹿に跨った複数人の武装した若い魔人の一団の姿を捉えた。
魔人はかつて発生した蟲との戦いで大幅に数を減らし、現在は全て合わせても百数十人ほどしかいないため、現れた魔人全員の顔と名前を国村は既に見知っている。 比較的若い世代にあたる国村よりもさらに年少ながら、いずれも比較的外地寄りの地域を任されている有望な魔人たちだった。
国村を見つけた魔人たちは少し離れた所で乗っていた鹿の脚を止めた。 そしてその中の一人が鹿から降りると大急ぎで国村の目の前まで駆け寄ってくる。
「叔父上!」
そう慌ただしい様子で声を発したのは、国村によく似た風貌の背の高い赤髪の男。 国村の従姉甥にあたる焔魔兼継だ。
「……兼継か、久しぶりだな」
「は、お久しぶりにございます!」
久しぶりの従姉甥との再会だったが国村は素直に喜べなかった。 通常、外敵が多く危険な魔人勢力圏の外側には戦いに不向きな魔人や、兼継たちのような若年の魔人がやって来る事はない。 にも関わらず未だあどけなさの残る若い複数の魔人がそれも武装した状態でやって来るということは外地でただならぬ事が起きていることを示していたからだ。
「いや、それよりも叔父上! 屋敷に伺ったところ敵襲に対応していると聞き急ぎ加勢に参ったのですが!」
「それなら丁度今始末した所だ」
「は…、し、失礼ながら敵はどのような出で立ちでありましたか?」
驚きの表情を浮かべた後おずおずと尋ねた兼継に、国村は嫌な予感の的中を感じ眉を顰めつつも、妖魔の数と大まかな風貌、全身を覆う瘴気と恐ろしく固い核のこと、そして身体を斬ってもすぐに再生して効かなかったが、核を砕くとあっさり倒せた旨を伝えた。
「さ、流石は叔父上で……」
「やはり見覚え有りか」
「は、はい。 ここに来るまでに、叔父上が倒された者共と同種と思わしき魔物3体とすでに別個に会敵しております。 しかしやはりというべきか、奴らの胸部の金剛石のような結晶をたった一つ砕くのに私と後ろの三人を合わせた4人がかかりでやっとで……、そっ、それと実はその事に関して火急の報せがありまして……!」
兼継によれば、国村が妖魔と戦っている内にも時を同じくして、あちこちから似たような襲撃の知らせが中央に上がって来ていたのだという。 そのため魔人勢力圏の外側の魔人だけでは対処しきれない規模の事態と見て、中央からの指令で後方から救援にやってきたのだと。
「何だと? それじゃあもう外側は手遅れなのか!?」
「も、申し訳ありませぬ。 指令を受けてからすぐ出立して、仲間と合流しながらここまでやって来たので未だ何も……」
思わず声を荒げた国村に、兼継は申し訳なさそうに肩をすくめて言った。
「そうか……、だが俺の元に現れただけでなく後方からやって来たお前たちも敵に出くわしたってことは、かなりの数の敵が居るか、或いは最悪の場合外側の奴らは既に全滅した可能性さえあるな……。 それで他にも応援は来ているのか?」
「は、はい、今は丁度都には焔と円の二人の太公様が居られたとのことで、都の守りは太公様と必要最小限の魔人数人に任せ、他の主だった魔人はほぼ総出で敵襲があったと思わしき地点にそれぞれ複数人の集団に分かれて向かうと聞き及びました」
「よし、ならば後方のことは後から来る魔人や太公に任せて今は外側の奴らへの加勢を急ごう、外地の救援が一段落したら返す刀で後方に向かうぞ」
「承知しました!」
「お前らには他に助けの必要な仲間の地点の加勢を任せた、俺はこれから予定通り一番最初に敵の現れた棗の所に行く」
このような時ではあったが、国村と共に肩を並べて戦えることに感激しているといった様子の兼継は感激していた、だが続く国村の言葉に顔を歪める。
「お、お待ちください、いくら叔父上でも今回ばかりは一人で戦われるのは危険です! 一番最初に襲撃があった場所ゆえ、もし大人数の敵が未だ残っていたとなれば……」
「おい、他にも助けの必要な奴は大勢居るんだろうが、俺らが全員で一ヵ所に出向いてる間そいつらを待たせたままって訳にもいかないだろ」
「しかしながら……」
普段国村に頭の上がらない兼継にしては珍しく尚も食い下がる。 やがて自身の身が案じられていることに気付いた国村は軽くため息をつき、険しかった表情を少し和らげる。
「ふん、大丈夫だ。 俺を誰だと思ってる、どんな奴が相手でも負けやしねえよ」
険しかった表情を少し和らげた国村は諭すように兼継に言った。
「…….わかりました」
兼継は渋々といった感じで引き下がった。
もっともそうは言った国村だが、自身が大槍を縦横無尽に振るう豪快な戦いを得意としているため、味方への被弾を気にせずに済む単独での戦いの方が都合が良いという事情もある。
「叔父上、どうかご無事で!」
他の場所を片付けたらすぐに加勢に向かうと言い残して、再び鹿に乗り込んだ兼継は離れた所で待機していた仲間たちと共に慌ただしく去って行った。
その後ろ姿を見送った国村は自身の向かうべき西方へと向き直る。
そして腰に着けてある笛を口に運んで吹き鳴らし、直接その足で走り始めた。 しばらく走っていると、背後から黒褐色の大鹿・神風が現れ、国村はその背中に跳び乗る。
神風はその巨体に似合わぬ疾風のような速さで木々を避け岩から岩へ飛び移り、苔むした深い森を駆けていく。
(鬼、蛇、妖狐、夜叉などあらゆる強敵と戦ってきたあいつらが全員抜かれるなどただ事じゃない。 それこそこんな事は二百年近く前の……、前任の太公三人を含め魔人の半数以上がやられた『蟲共』との闘い以来の事態だ。 ……いや、今は考えても仕方ない。 状況がどうであれ、俺が出るからには誰一人として仲間を死なせはしない。 ただそのためだけに、オレはまたこうして戦いに身を投じているんだ)
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