【第2話 序章】 の続き
昼前に出発してから3時間ほど、国村を乗せた大鹿は止まることなく走り続けていた。
その間景色はほとんど変わらない。
街道はあるにはあるがほぼ整備されておらず、農耕に適さない険しい岩地と苔むした深い森が延々と続く。
土地から得られる栄養素が少ないため植物は成長を抑えて長寿となり、長い時間をかけて巨大に育った原生林がこの『かたす界』の大半を占めていた。
時間は昼下がりで、大樹の葉越しにも分るほど日は高く上っていたが、目的地に近づくにつれて黒い瘴気が空を覆い始める。
そして遂には瘴気の向こうに、微かに太陽の存在が確認できる程に空が漆黒の闇に塗り潰された。
(さっき妖魔と戦った時と同じ……、いや、あれよりも遥かに瘴気が濃い。 それほどまでに敵の数が多いのか、或いは桁違いに強い妖魔が居るって事か)
日没まではまだかなり時間があったが、もはや周囲は夜のように暗い。
国村は物音を立てぬよう、そっと地面に下り立つと、小さな声で神風に話しかける。
「神風、用が済んだら合図する、それまでは明るい所で待っていろ」
神風は了解の合図かのように鋭い眼を閉じると、元来た道を静かに戻って行った。
国村は神風が戻って行った向きとは逆方向へと身体を向ける。
敵に気取られないためにも灯りは使えない。
気配を消し、夜目を頼りに暗闇の中を進んで行くことにした。
邪悪な気配を辿り、闇のより濃い方へと瘴気をかき分けるようにして歩を進めてゆく。
大気が質量を持ち、のしかかってくるような息苦しい圧迫感が強まってくる。
(棗から連絡が途絶えてから既に丸二日経ってる。 兼継の話では敵は既に後方にまで現れている上に近くには強力な気配か。 棗がいかに強力な魔人とはいえ、未だに戦い続けているとは考え辛い)
「これで無事でいられるのか……?」
そんな悲観的な考えが出始めていた矢先、思わぬ光景が国村の目に飛び込んでくる。
木々が打ち砕かれ、森の中にあってそこだけが開けた広場のような空間。 木片が散乱したその場所には火の灯ったいくつもの篝籠が置かれ、こちらに背を向けて立っている焔魔棗の姿を照らし出していた。
(棗……? 無事だったのか!?)
咄嗟に駆け寄りたい衝動に駆られた国村だったが、一旦冷静に息を潜める。
(……まるで見つけてくれとでも言わんばかりの状況だ)
棗の衣服は戦いによるものであろう傷みが目立ち、あちこちに血の跡も見受けられた。
(瘴気の濃さから考えて間違いなく敵はすぐ近くにいる、どう見ても罠だが……)
一瞬行動を躊躇した国村だったが、やがて覚悟を決めたように口を堅く結び立ち上がった。
(罠かもしれないから手を出せずに仲間を置き去りにして逃げ帰って、それを一体どんな顔で説明しろっていうんだ)
国村は肩に担いでいた蟲切りを手に持ち直すと、一歩一歩と何が起きてもすぐに対応できるよう神経を研ぎ澄ましながら足を進める。
暑さによるものか、国村の首筋を汗が伝って流れる。
やがて棗のすぐ後ろにまでやって来た。
「……おい、棗」
国村が声をかけると、俯き加減だった棗は顔を上げて振り返ろうと身を返す。
国村にはそれが非常に長い時間の様に感じられた。
(……さあ、どう来る)
緊張に身体を強張らせる国村だったが、
「国村、どうかしたのか?」
振り返った棗は依然と何ら変わらない様子でそう言った。
その事実が却って国村を混乱させた。
「……は? ……ど、どうしたってお前」
動揺しながらも続きの言葉を紡ごうとしたその刹那、視界の端に魔力の光弾を捉えた。
国村は飛来する闇色のそれを躱しつつも、蟲切りで明後日の方向へと打ち返す。
打ち返された魔力弾は近くの巨木に命中し、水で出来た玉が弾けるように四散した。
魔力弾が命中した木には特にダメージは無く、何らかの能力が発動する兆候も見られない。
そのことに一瞬疑問を覚えた国村ではあったが、すぐにその場から飛び退いて魔力弾が飛来した方向へと向き直る。
「……こ、こいつ躱しただと!?」
魔法弾を放ったぬいぐるみのような姿の小柄な妖魔・チヴィニルは、奇襲を躱された事に動揺し声を荒げた。
そして周囲にはいつの間にか、チヴィニルの他にも多数の妖魔が犇めき合っていた。
「ふん、やっと姿を現しやがったか。 お前ら人の庭で随分と派手に暴れやがって、ただで済むと思うなよ」
そう毒づいた国村に背後から声がかかる。
「国村、無駄な抵抗はやめておけ。 ただ黙って受け入れさえすれば、妖魔も私たちを悪いようにはしないはずだ」
棗は普段通り堅物な雰囲気のままだが、言っている内容と佇まいがまるで一致しない。
「お前らこいつに何をしやがった?」
棗を横目に見ながら、国村は蟲切りを切っ先を周囲に向けながら言う。
すると妖魔の群勢の中から一体の人型の妖魔が現れた。
「君、結構やるみたいだね、中々面白い素材だ」
そう言ったのは、場に相応しくない優し気な雰囲気を纏った藍色の髪の優男。 しかしその実力は桁外れに強大な力を持つ魔王・メルトドールだった。
「そうそう、お仲間を助けに来たところ悪いけど、その魔人ならもう既に死んでいるよ。 今や僕の屍操術で操られている単なる操り人形なんだよ」
「なんだと……?」
屍操術は字のごとく魔力を用いて死者を操る、特段珍しくもない冥属性の一般的な魔法の一つだ。
だが基本的にいかに上手く操ろうとも屍と生者とでは隠し切れないぎこちなさがあるはず、それが棗には見えない。
「並みの屍操術と一緒だと思わない方がいいよ、僕の術は死者の記憶をある程度汲み取って自動で動かす事も出来るんだ。 おまけに死者が生前持っていた能力の発揮も含めてね」
国村の疑問を見透かしたかのようにメルトドールは言った。
(ある程度の記憶の保持と自動操作は可能だとして、生前の能力の使用なんて出来る奴がこの世に居るのか? いや、それよりも冗談じゃねえぞ……、今の奴の言葉がハッタリでないなら、早く始末しねえと敵と味方の区別が完全に出来なくなる)
そう考えて背筋に冷たいものが走った国村は、すぐに槍を構えて戦闘態勢に移った。
(こいつだけでも今すぐここで倒さねえと……っ!)
だがその心根を嘲笑うようにメルトドールはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「お仲間の命は助けられなかったけど折角遥々やって来たんだ、もう少しゆっくり遊んでいきなよ」
メルトドールが指を慣らすと、棗と入れ替わるようにして現れた三体の妖魔が国村の前に立ちふさがる。
猛獣の身体に鳥の頭の怪鳥、西洋型の鬼、禍々しい模様の入った人型の牛魔、といかにも屈強そうな妖魔達だった。
(クソッ、邪魔が入りやがった……!)
身構える国村に対し、三体の妖魔は一斉に動き出した。
まず先陣を切って来たのは牛の妖魔、凶暴な角を突き立てて国村へ突進する。
しかし角が目標に触れる前に、顔面に強烈な蹴りがめり込んだ。
首がへし折れ、顔があり得ない方向を向く。 通常であれば即死だがコアを砕かない限り妖魔は死なない。
それでも痛覚はあるため、牛の妖魔は痛みにのたうち回った。
そんな牛の妖魔をよそに、上空からは鋭い爪を振りかざした鳥型の妖魔が国村に襲いかかる。
国村が身体をよじりながら半歩横にずれると、空を切った妖魔の爪は深々と地面へ突き刺さる。
慌てて爪を引き抜こうともがく鳥の妖魔の頭上から槍の鉄槌が振り下ろされ、グシャリと音を立てて地面に叩き潰された。
「図に乗るなよ小僧!」
残った鬼の妖魔が怒号を上げる、すると次の瞬間、妖魔が放った火炎弾が国村の足元に着弾し、辺りに爆炎が飛び散る。
引火した炎が周囲の地面を激しく燃やし尽くし、周囲は草木一つ残らない焦熱地獄と化す。
だが単純な熱による攻撃は、魔力を身体の周囲に纏う事である程度軽減できる。
炎の幕を突き破って鬼の妖魔の目の前に現れた無傷の国村は、蟲切りを横薙ぎに目の前の敵へと叩き込んだ。
甲高い金属音が周囲に木霊し、超硬度の物質を斬りつけたことによる痛みにも近い振動が、槍を伝って国村の全身に響いた。
(……っ、この感覚だけはどうにも慣れそうにないな…!)
吹き飛ばされた妖魔は巨木にたたきつけられ、あまりの勢いにぶつかった木が圧し折れた。
なんとか立ち上がる鬼の妖魔だったが、その胸元の辺りに大きく露出した赤黒い結晶には大きく亀裂が入っていた。
「こ、殺してやる……!」
鬼の妖魔と、傷を再生し終えた二体の妖魔は怒りに満ちた表情で息巻く。
とその時、妖魔の群れの中から一際異質な雰囲気を醸し出す妖魔が進み出た。
全身が湯だつほどにいきり立つ3体の妖魔を無視するかのように国村の前に立ちはだかったのは、メルトドールとは別の比較的小柄な体躯の妖魔。 頭頂部の尖った妙な被り物で素顔を隠し、闇色とでも言うべき深い紫のローブを纏った魔王・アークルシェルであった。
「中々面白い、待っているのにも流石に退屈し始めていた所だ。 暇つぶしにこの者は私が直接相手をしてやる、お前たちはもう下がっているがいい」
そう言ってアークルシェルは国村が戦っていた妖魔に声をかけ、腰に差していた鞘から西洋型の剣を引き抜いた。
「し、しかし魔王様っ!!」
一方的に攻撃を受けた末、お預けを食らうことになった妖魔達は、魔王相手にもその激しい気質のままに抗議の声を上げるが。
「…下がっていろと言っている」
被り物の奥からでもわかる程に圧倒的な魔力の差を直感した妖魔は、それ以上声を発することが出来ずに固まった。
(チッ、次から次へと邪魔立てしやがって)
内心苛立つ国村だが努めて平静を装い、メルトドールへの攻撃のチャンスを窺う。
「……ふん、いいんだぜ、同時にかかって来た方が身のためだと思うがな」
そう不敵な笑みを浮かべ軽口を叩いた刹那、国村の視界からアークルシェルの姿が消えた。
そして次の瞬間には、目にも止まらぬ速さで国村の首筋めがけて突き入れれられた鋭い剣。 国村は手にした蟲切りの柄で辛うじてこれを受け太刀する。
(速いっ……!!)
意識的反応では到底間に合わぬ、完全に反射だけで辛くもやり過ごせた程に、ルシェルの剣速は速かった。
さらにルシェルは身を返すように国村の背後にくるりと回り込み、振り向きざまに横薙ぎに剣を振る。
国村も咄嗟にルシェルと同じ動きで身を返して斬撃を捌き、反撃に転じようとする。 だがその次の瞬間にはまたルシェルの追撃が襲って来た。
(反撃しようにもこっちの攻撃は奴の攻撃を捌くための動作で潰される、受け太刀で精一杯だ……!)
この展開が繰り返され、その流れの中で避けきれなかった剣が国村の體のあちこちをかすめ、刀創を増やしていく。
「どうした、攻め来ねば私は倒せぬぞ」
(ふざけやがって、テメエの剣速が速すぎて攻めたくても攻めれねえんだよ……!)
何度目かの攻防の後。 受け太刀した瞬間に振り払うような槍の横薙ぎで剣ごとルシェルを突き離し、やっとのことで距離を取った。
国村は態勢を立て直し思わず大きく息をつく。
国村の頬を汗が伝うが、それを拭おうものなら次の瞬間にはルシェルが目の前に現れて首を貫かれる様が国村の脳裏によぎった。
そして何より絶望的な事実として、コアを砕かないと倒せない相手のコアはおろか、その身体にさえ未だにかすり傷ひとつ与えられていない。
このままでは確実になぶり殺しになる。
だが逃げるという選択肢も考えられなかった。 ここで逃げ出せば、目の前の妖魔達は後方の仲間の元へと向かう事になるからだ。
(屍使いだけどうにかすれば良いと思っていたが、この覆面も化け物だ……! どんな手を使ってでもこいつらはここで何とかしておかねえと……)
そう考えた国村には、絶望的状況ながらも完全に策が無いわけではなかった。
ほんの少しでも実際に切り結んでこそ分かる、目の前の魔王の尋常ならざる気位の高さ。
国村はその魔王の性格を利用した賭けに出ることにした。
「……ふん、いい気なもんだな。 こっちは斬られれば死ぬ状態で戦ってるが、お前は何回攻撃を喰らってもすぐに再生しちまうんだろ? さっきの雑魚共と同じによ」
魔王を部下の妖魔と同列に扱う許されざる侮辱。
失敗すれば即座に魔王は激昂し、戦闘が再開されるだろう。
だがしばしの沈黙の後、アークルシェルはおもむろに口を開く。
「単なる挑発だろうが、いいだろう。 もし私が例え一太刀でも手傷を負った場合、私はその場で私自身のコアを砕く。 貴様如きこれくらいのハンデでも足りないくらいだ、今のままでは実力差がありすぎてつまらぬ」
妖魔達にどよめきが広がり、口うるさいチヴィニルが何かを喚こうとしたのをアークルシェルは一睨みして黙らせる。
「そりゃご丁寧にどうも」
国村は内心口端を吊り上げつつも、表面は憮然として返した。
(……かかった。 これなら適切な時を選んで俺の”能力”を使えば、まずこいつは高確率で自滅させられる。 そうなれば次は屍使い、上手くすればこの場で2体大物を仕留められる)
そう考えて横目にメルトドールを睨む国村。
だがアークルシェルとメルトドールを除いた他の4人の魔王も、単独で全ての魔人を殲滅しかねない能力を持っているとは、この時の国村は夢にも思っていなかった。
数秒の間をおいて再び戦闘が再開される、だが今回も似た展開となった。
ルシェルの攻撃を寸での所でかわし反撃に転じようとする国村だったが、攻撃を返す前にそこからさらに追撃が来る。
目にも止まらぬ速さの斬撃が間髪入れずに繰り出され、アークルシェルのその圧倒的なスピードを前に完全な防戦一方となっていた。
「大きな口を叩いていた割には存外大したことは無いな」
「ちっ……!」
このような状態が繰り返された結果、直撃こそないものの、捌き損ねた攻撃による細かな刀創が国村の身体のあちこちに刻まれていく。
「どうするんだい? 今僕たちが攻撃を加えれば楽にあの魔人を倒すことができるよ」
メルトドールが盲目の魔王に話しかける。
「そうしたいのは山々ですが、もし手を出せば彼の矛先が次は我々に向きますよ」
盲目の魔王は苦笑して言った。
一方的に攻撃を仕掛けるアークルシェルだったが、胸中に微かな苛立ちを感じていた。
(いくら攻撃しても奴に致命傷を当てられない、いや、それどころか、こちらへの圧力が増し始めている)
当初はルシェルの攻撃を前に完全な防戦一方となっていた国村ではあったが、次第に速さに目が慣れつつあった。
(剣速はかなりのもだが、パワーはそれほどでもない)
攻撃を防ぐのに精一杯だった状況に、次第に逆転の兆候が表れ始める。
ルシェルの攻撃を躱した国村は、そこからさらに繰り出された追撃を槍の持ち柄で受け流す。 そしてその動きのまま槍の切っ先をルシェルに向けて突き入れる。
神速の斬撃の嵐の中から突如繰り出された反撃。 ルシェルは内心驚きつつも、そのカウンター攻撃を手にした長剣で流し、そうして次の行動に移ろうとした刹那。
槍を受け止めていた剣ごと大きく体を押し返された。
今まさに動こうとしていた方向に力が加えられた事でルシェルの態勢が崩れる。 そこに繰り出された国村の反撃がルシェルの衣服を掠めていく。
(こちらの動きを読んだ……?)
ルシェルの攻撃の合間合間、そこに繰り出される国村の反撃が少しずつその回数が増し、やがてルシェルが防戦に周る展開が目に見えて増え始めた。
「ルシェル様が押されている!?」
妖魔たちの間に困惑とどよめきが広がる。
速度は未だルシェルの方が早かったが、今度は腕力で完全に国村に圧倒され始めている。
配下の妖魔から見ても魔王が劣勢になり始めているは明らかであった。
いくらでも手傷を負っていい国村と、一太刀でも受けられないアークルシェル。 今や立場は完全に逆転している。
しかし一方の国村にも焦りの感情と共に、得体の知れない違和感が心身に蓄積されるのを感じていた。
それは闘志が削がれ、身体の手足の先から冷たくなって力が抜けていくような感覚だった。
(……! この感じは間違いなく奴が何かの能力を仕掛けに来ている。 だったらそろそろ能力の出し惜しみも終わりかもな……!)
多少の手傷を覚悟した国村が攻勢が強めると、今度はアークルシェルが防戦一方となる。
そして国村の圧力に押されている内、いつの間にか地面に走る深い亀裂の際にまでアークルシェルは追い込まれていた。 これ以上躱わし続けることはできない。
奥の手を使う時が来た、そう判じた国村は大きく槍を振りかぶり、ルシェルに突進する。
「面白い、来るなら来い……!」
ルシェルも剣を構えて真っ向勝負に応じる姿勢を見せる。
(よし、今だ!)
国村は奥の手を使うべく魔力を発現し、その全身を電撃が覆った。
そして槍と剣が交錯しようとした刹那、国村の背を、闇色の怪しげな光を放つ魔力の光弾が捉えた。
先ほどは難なく躱わした、比較的ゆっくりとした速度の魔弾。 しかしルシェルとの戦いに完全に意識が向いていた国村には容易く直撃した。
不意打ちによる動揺で国村の動きが一瞬固まる。 そこに既に抜き放たれていたアークルシェルの神速の剣が国村の体を逆袈裟懸けに捉えた。
刃は国村の体を深々と切り裂き、その身体が空中へと打ち上げられる。
背後からの不意打ちと、自身が斬られた事の二重の衝撃に目を見開いた国村はそのまま深い谷底へと落ちていった。
「魔王様! 御無事ですか!」
背後から攻撃を仕掛けたのはチヴィニルであった。
他ならぬアークルシェルも突然の決着に少しばかりあっけに取られているように見えた。
チヴィニルはアークルシェルの近くにまで駆け寄り、それからぽっかりと口を開いた深い谷底を見下ろした。
「奴め、魔王様の手にかかり奈落へと落ちたか!」
そう愉快そうに言ったチヴィニルだったが、その背後からアークルシェルの凍えるような冷たい声が投げかけられる。
「どういうつもりだ」
「は…….?」
魔王の剣幕に押されたチヴィニルは青ざめた表情を浮かべ、魔王の質問の意味を聞き返す。
「なぜ手を出したかと聞いている」
「は、ははっ、あなた様は封印から目覚めて最も日が浅く、封印前と比べて半分の魔力も取り戻せておりませぬ。 さりながら例えそのような状態でも、あのような下郎の攻撃を一太刀でも受けるなどあってはならぬと思い憚りながら私めが……グエッ!?」
しどろもどろなチヴィニルの言い訳が終わらぬうちに、その首を乱暴に掴んで持ち上げるルシェル。
「貴様は私の顔に泥を塗るつもりか? つまりは、あのままでは私が負けていたかもしれないと?」
「……だ、断じてそのようなことでは!」
チヴィニルはルシェルの問いかけに首を左右にブンブン振って必死で否定する。
だが無情にもチルヴィの首を掴んでいるルシェル手が、メキメキと音を立ててグロテスクな形状に変わってゆく。
それは魔王が他の妖魔のコアを吸収する時に見せる動作だった。
「貴様の声はキンキンと耳に響いて鬱陶しい、少し黙れ」
冷たい口調でアークルシェルは吐き捨てる。
顔面蒼白で涙目のチヴィニルは口を両手で覆い隠し、コクコクと必死に頷いていた。
そんな中、アークルシェルの肩に手が置かれる。 手を置いたのはメルトドールだった。
「その辺にしておきなよ。 僕らがこうして封印から解けて動いていられるのも彼あっての事だし、何より彼はまだまだ僕らにとって利用価値がある。 あまりぞんざいに扱うのは、ね?」
いつも通りの飄々とした口調と柔和な態度で言うメルトドールだが、その両目は笑っておらず、ルシェルを冷静に見据えていた。
しばらくの沈黙が続いた後、チヴィニルの首を掴んでいたアークルシェルの手が通常の腕に戻り始める。
元の状態に戻ったアークルシェルが手を離すと、チヴィニルは地面へと落下する。
「おっと」
それをメルトドールがさっと受け止める。
「いやに世話を焼くな。 短い付き合いだが、貴様はそのような性格には思えないが」
ルシェルは訝しむように言った。
「味方に気をかける事がそんなにおかしいかい?」
「……ふん、貴様を見ていると昔出会った人間を思い出して不愉快だ」
その言葉を聞いたメルトドールは最初目を丸くしたが、少しすると珍しく声をあげて笑った。
「はっはっは、それはそれはゴメンよ、これからは気を付けるよ」
その様をアークルシェルは憎々し気に見つめている。
と、そこで手を叩く乾いた音が響く、その場の者たちの視線を集めたのは、それまで事を静観していた天使のような翼をはやした盲目の魔王だった。
「さて、話も済んだところで。 後方からこうして刺客が来たという事はもう十分敵は捌けたと考えていいでしょう。 そろそろ我々も動いて良いのではありませんか?」
盲目の魔王は物腰柔らかにそう言った。
「……太公とやらは私が仕留める、次に手を出したものは誰であろうと殺す」
「はいはい、誰も盗ったりしないよ。 せいぜい討滅されないように気を付けてくれよ」
すっかりへそを曲げたルシェルの態度に、メルトドールはやれやれと手のひらを上に向けて肩をすくめる。
「ま、魔王様、先ほどの者はいかがいたしましょう、まだ息があるやもしれませぬが……」
チヴィニルはルシェルの顔色を伺いながら、オドオドと声をかける。
そこに割り込むかのように、激しい語気で声を発する妖魔が居た。
「魔王様……!!先ほどの魔人の始末を是非お任せ願いたい!!」
目を血走らせ鼻息荒くして言ったのは、先ほど国村に小っ酷くやられたばかりの妖魔たちだった。
仮に魔王の許可が下りずとも、静止を振り切って国村を追いかけて行きそうな程に3体の妖魔はいきり立っている。
「……好きにしろ」
怒り心頭の妖魔たちとは対照的に、ルシェルは冷めきったように言った。
「ありがたき幸せ…! …….あの小僧、例え死んでいたとしても死体をズタズタに引き裂いてやらないと気が済まねぇ」
3体の妖魔は深々と魔王に首を垂れると、目的を果たすべく蝙蝠のような妖魔族の翼を広げた。
「ちょっと待ってくれるかな」
今まさに飛び立たんとしていた妖魔達に声をかけたのはメルトドールだった。
「せっかくの機会だから僕の魔力を分け与えて、君たちを大幅に強化しておいてあげるよ」
言ってメルトドールは妖魔たちのコアに手を翳す。
翳された手から妖魔のコアに莫大な魔力が流れ込み、それが終わる頃には3体の妖魔は先程までとは桁違いに強力なオーラを纏っていた。
「さてと、……どんな結果になるか楽しみだね」
メルトドールは小さい声で呟く。
「ハッ、魔王様に頂いたこの力で必ずやあの小僧を見つけ出しその首を持って参ります!」
「ああ、興味深く見させてもらうよ」
メルトドールはにこりと微笑んで妖魔達に手を振った。
少し離れた場所から闇に紛れてその様子を見つめる黄金色の双眸があった。
双眸の主は妖魔たちを睨み据えると、国村が落ちていった谷底の方向へと消えていった。
【第4話 リトルハートとの邂逅】 に続く

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